大西巨人『神聖喜劇』論ー論文

yahiro992005-06-05

1〈男〉の「戦争文学」を〈女〉から読む

1.1 これまでの『神聖〈喜劇〉』論の〈悲劇〉


大西巨人の『神聖喜劇』は、一九五五年二月二八日に連載が開始され、一九八〇年四月二十五日に脱稿された 。本小説は、二十五年もの長い歳月をかけて執筆された(光文社版の文庫にして)二千五百ページ以上の大長編小説である。これまでの『神聖喜劇』に関する論を概観すると「世界文学的にも最高水準に値する」と阿部和重が評している のを始め、五木寛之松本清張大岡昇平 などが『神聖喜劇』の書評において、高い評価を下している。また、本多秋五は『神聖喜劇』を〈軍隊小説〉として捉え、優れた記憶力を駆使する東堂太郎の可能性について論じ 、小林勝は〈軍隊小説〉や〈戦争文学〉の中にとどまらない〈国家権力〉に対する「抵抗」の構造という観点から『神聖喜劇』を評価している 。さらには、柄谷行人蓮実重彦の対談においては、『神聖喜劇』の〈倫理〉の問題についての検証がなされ、絓秀実、渡部直己によるインタビューでは、「部落差別の問題」や「党員作家」としての大西巨人自身について言及されている。

しかし、これらの多くの論者たちは、大西巨人神聖喜劇』のテクストをさまざまな面から掘り起こそうとはするものの〈フェミニズムジェンダー〉の観点から一切論じてはこなかった。これまで『神聖喜劇』に言及してきたほとんどの人たちが〈男〉だったのは事実である。だからこそ〈フェミニズムジェンダー〉の観点が無かったのだという意見も考えられるだろう。だが、もしそれら多くの人たちが〈男性〉だったことを理由に「フェミニズムジェンダー批評」を行なってこなかったと結論づけられるのならば、これまでの多くの『神聖喜劇』論者の単なる知的怠慢以外のなにものでもない。大橋洋一の言葉を借りれば、男性が「ジェンダー批評」および「フェミニズム批評」を実践することは「男女の関係を絶えず流動化し、変化させ、そして相互に尊重しあうような共存の関係をめざすものであるなら」なおさら尊重されるべきなのである 。つまり、性別を問わず〈フェミニズムジェンダー批評 〉はおこなわれるべきであり、その実践こそがテクストをより豊かなものにする。また、大越愛子は男性がフェミニズムを敬遠する理由として、フェミニズムは「女性のための思想であり、男性に敵対する思想」だという誤解があると論じている 。フェミニズムの従来の男性中心イデオロギーへの徹底的な批判は、個別的な男性への敵対意識からではなく、男性もまた呪縛されていた男性中心イデオロギーの異議申し立てに基づくものでもなければならない。

 これまでの『神聖喜劇』論では、小説中の膨大な登場人物の中で〈男〉の登場人物のみが論じられるだけで、〈女〉がほとんど論じられなかった。それは、『神聖〈喜劇〉』論の〈悲劇〉あったとも言えるであろう。本論文は、これまでの過去の研究史とは逆に、物語中の〈女〉の登場人物を中心に、〈女〉から見た『神聖喜劇』をテクストから紡ぎ出していく。そのことによって、大西巨人神聖喜劇』というテクストの〈過去の読み〉を反転させて、新しい物語の〈解釈可能性〉を引き出していくのである。

戦争文学を〈女〉から読むということに関して、そもそも『神聖喜劇』は「戦争」を題材にした文学であり、「戦争」とは〈男〉が兵士として駆り出されていた以上、〈男〉が多く語られても仕方ないという反論もあると思う。ほとんど時代において、戦上に出かけていった「兵士」は〈男〉であった。第二次世界大戦以前、『神聖喜劇』の時代である一九四〇年代当時は、女性は兵士として、軍隊に入隊できなかったのである。吉本隆明はかつて「戦後文学は、わたし流のことば遣いで、ひとくちに云ってしまえば、戦争傍観者の文学である 」と発言している。このように「戦後文学は戦争の文学だ」ということは、これまで多くの人によって言われてきた。もしそうであるならば、軍隊の兵士には決してなれず、戦争に(直接)参加する機会がほとんど与えられなかった〈女〉は「戦後の文学」から、また「戦争の文学」から完全に排除された〈存在〉であったのだろうか。読み手がこれまで〈女〉を排除する「読み方」しか選んでこなかっただけではないのか。たとえ「戦争文学」は〈男性〉が多く語られてきたにせよ、むしろ〈男性〉ではない〈女性〉という「視点」を導入することによって、小説の隠れた可能性をより鮮明に照らし出すことができるのではないだろうか。そういう意味では「戦争文学」及び「戦後文学」は〈女〉の文学でもあるということができるのである。『神聖喜劇』は軍隊を舞台にした小説であるにもかかわらず、その物語には多くの場面で〈女〉の影が見え隠れする。以下、その点を一つ一つ検証していくことで、『神聖喜劇』における〈女〉にスポットライトを当てていくことにする。



1.2〈女〉と〈語り〉の構造


〈読者〉がある人物と「視点」を共有する小説の場合、〈読者〉はその人物と近い小説の世界を眺めることができると言えるだろう。仮に、その人物を「主人公」としてみると、〈読者〉と「主人公」が「視点」を共有する小説は、「主人公」の考えたことを〈内面の告白〉という形で〈読者〉に直接的に伝えやすい。また、このことは「主人公」の「視点」を中心とした世界に〈読者〉が陥ってしまうことで、「主人公」以外の登場人物の思考や思想を理解しにくくなるという可能性が大きくなると言えるだろう。しかし、『神聖喜劇』は小説の〈語り〉の技法それ自体をテクスト内で巧みに何度も変化させて、「主人公」が小説の〈語り〉の「主体」であることを頻繁に止めてしまうような文が多くの箇所で配置されている。具体的に、多くの小説にみられる一人称の〈語り〉に比べて、特徴的な部分に注目してみたい。

 
男(東堂) ははぁ、あなたは、そんなふうに思うのですね?
 女(「安芸」の彼女)はい。
 男 どうして?
 女 それは――、いえよくわかりませんが、そうではないでしょうか。
 男 もしそうなら、それは非業の犬死にでもないことになりはしないか。
 女 ええ、たぶん、その人としては。
               (第三部 運命の章 第二 十一月の夜の媾曳)

右は〈男〉=東堂太郎と〈女〉=「安芸」の彼女による〈セリフ調の技法〉の文章である。この〈セリフ調の技法〉を阿部和重は「脚本形式」と呼んで注目し 、この技法を使うことによって、男女二人の会話が「理性的な言葉の掛け合い」であることが強調されていると論じている。また、寺田透はこの技法を「木下順二の芝居風のト書き」と呼び、これによって「二人の恋愛感情のアクセントづけ、区切りづけ」という効果が生まれていると論じている 。しかしながら、単なる言葉の「掛け合い」や「区切りづけ」のためだけに『神聖喜劇』は物語の〈語り〉の構造をそれ自体移行させるという大掛かりなことが頻繁に行われるものだろうか。むしろ、そこでは〈男〉である東堂と〈女〉である「安芸」の彼女のお互いの関係や会話の内容の変化が、〈語り〉の構造に影響をもたらしているのである。

これまでの『神聖喜劇』に関する多くの考察は、東郷太郎は『神聖喜劇』の〈主人公〉であると読み込んでいる。しかし、〈セリフ調の技法〉を使用することによって、主人公である東堂は〈男〉となり、〈女〉である「安芸」の彼女と並列的に書かれる。そのことによって、東堂が小説の〈語り〉の「主体」としての「主人公」という特権的地位を捨て、〈女〉の地位と同じ階層に立つことに成功しているといえるだろう。つまり〈男〉は〈語る〉権利を奪われて「主人公」の位置から降ろされてしまうのだ。〈語り〉が移行する直前の文章には、自己の非を部分的に認め、「私(東堂)は、あなた(「安芸」の彼女)の意見の方がいっそう現実的に正しいだろうことを認めてもいいのです」と〈男〉が〈女〉を認める文章がみられる。〈男〉が〈女〉に対して自分の非を認めることによって、お互いの関係が変化し、呼応して〈語り〉の構造が変化したとも言うことができるであろう。また、こうした〈セリフ調の技法〉を部分に応じて使い分けることで、物語が〈語り手〉中心主義に陥ってしまうこと、〈読者〉がどうしても〈語り手〉の「視点」に偏ったテクストの読みを行ってしまうことをできる限り防ごうとしているのである。一人の人物「東郷」が〈語り手〉という役割を一時的に止めることによって、〈語り〉の「主体」が消えてしまう小説とも言えるであろう。

 ただ〈セリフ調の技法〉も万能ではない。〈読者〉は誰の「視点」をも共有せず、登場人物の〈セリフ〉をほぼ均等に並べるという手法によって、逆に登場人物の考えていることを〈読者〉に伝えることが難しくなっている。しかしながら、『神聖喜劇』の優れた〈語り〉の形式はその欠点をも補ってしまう。

  男 なんです?
  女 いえ、うれしいのです。――そういうのを、むかしの人は「殺し文句」といったのでしょうか。《おなじような笑顔。》
  男 う?《嘘を衝かれたようにも相手の唐突な蓮っ葉に辟易したようにも興醒めかかって、しかし咄嗟に破顔一笑する》――
(第三部 運命の章 第二 十一月の夜の媾曳)


 この文章は二重括弧を使って、〈セリフ調の技法〉では表現できない欠点ともいえる登場人物の表情や感情を記述することに成功している。主人公である「東郷」が「男」と書かれる〈語り〉の移行は、「東郷」が〈語り手〉という特権を捨てることを意味するが、もう一つには「東郷」が「男」として象徴化されるということを表している。「東郷」が「男」として、「女」である「彼女」と対峙することで、より二人の対話が鮮明になっているのである。

 このように『神聖喜劇』は〈語り〉の形式において非常に優れた小説であるということが言えるであろう。一つの〈語り〉のみでは、自ずと表現に限界がある。だが、本小説は複数の小説の表現技法が、絶えず組み換わって展開されることによって、その世界が一様なものではなく多層的なものとして〈読者〉の前に立ち現れてくるのである。そして、この物語を構成する文体は、漢詩、英語詩、和歌、俳句、民謡などの様々な形態を取り入れて、過去の小説に例をみない多層的なアプローチによって物語の世界を広げようとしているのだ。また、ここで最も重要なことは、このような〈語り〉の構造や技法の多様な取り込みは、『神聖喜劇』が〈男〉が語る〈男〉の物語という境界を超えているということにある。つまり、〈男〉は〈女〉との対話によって〈語り手〉としての権利を奪われるということである。〈男〉が「他者」としての〈女〉と対峙するとき、〈女〉を〈男〉はその「語り手」の位置から見下すのではなく、小説の語りの技法自体が変化することによって、〈男〉は語り手の位置からズラされる。このことによって、『神聖喜劇』は〈男〉が語る物語ではなくなり、理解しうるべき「他者」としての〈女〉が立ち現れるのである。



2 〈他者〉としての〈女〉に直面するということ

1.1 手紙・暗号・女


 東堂太郎が軍隊で上司の権力に抵抗し活躍する『神聖喜劇』では「物語」を成立させる重要な要素として〈手紙〉を挙げることができる。東堂は対馬という情報の限られた場所にいたのであり、「安芸」の彼女の様子を知ったのも〈手紙〉であったのであり、盗みの嫌疑が掛けられていた冬木の身元を、杉山から東堂へと知らせる手段を担ったのも〈手紙〉であった。

  拝啓。お元気で服務のことと思います。こちらも、相変わらずです。今月初め、逓送部の坂駄に召集が来て、小倉の野重[野戦重砲兵連隊]に入隊しました。社内から、他にも数人の応召者が、最近ありました。
  君も知っているコスッポウのS・Kから印刷部のT・Fについて手紙で尋ねて来たので、僕にわかった限りのことをS・Kに返事することにしました。こんなことは、軍隊の君にわざわざ知らせる必要もないようなものだが。
  何かニュースがあったら、また便りを出します。御自愛を祈る。匆々。
                  (第七部 連環の章 第五 冬木照美の前身)

 これは東堂から杉山が部隊宛に送った〈手紙〉の内容である。東堂が感じているようにこの〈手紙〉は「暗号のような書き方」がされている。東堂自身は、それぞれS・Kとは「柿本澄子」のことであり、T・Fとは「冬木照美」のことでなければならないと推測している。しかし、東堂がなぜ付き合いのほとんどなかった「逓送部の坂駄」の近況を〈手紙〉でわざわざ「暗号のよう」に書いて寄越したのだろうか。東堂はそれがまったくわからなかったと感じているのである。杉山が東堂に伝えたかった「暗号」は「坂駄」ではなく「逓送」いう言葉に注目することによって、解読することができる。「逓送」とは広辞苑で言葉を調べれば、「宿継ぎで送ること」という説明がある15。これは人を継ぎ変えて、ある場所から他の場所へと荷物(この場面では手紙)を送ることである。
つまり、この手紙の他に、もう一通の〈手紙〉を、杉山節士→柿本澄子→柿本敏郎→東堂太郎という順番で人を継ぎ変えて、宿継ぎで(逓送して)送りますということを杉山は東堂に「暗号のよう」にして伝えているのだ。そのために、「逓送」部の坂駄の話を部隊宛の〈手紙〉に書き記していたのである。

そうするとなぜ、杉山は東堂の「冬木の経歴を調べて欲しい」という依頼に、わざわざ二通の〈手紙〉に分けて返事を書かなければいけなかったのだろうか。それは、〈部隊宛〉と〈逓送した〉手紙を分けることによって、手紙の内容の漏洩を防ぐためであった。軍隊に公式に知られることのない〈逓送した〉手紙には、冬木は部落出身の前科者であったという調査結果が書かれていたためである。しかしながら、ここでは〈手紙〉の内容が問題なのではない。始めに、東堂に送られてきた部隊宛の〈手紙〉は、「逓送」という言葉が書かれることによって、後に送られてくるであろう冬木の経歴が書かれた〈手紙〉が、より確実に「受け手」に届けられるような仕組みになっていたのである。

また、この〈逓送された〉手紙の中継地点として「柿本澄子」という〈女〉が絡んでいるというのは重要な意味を帯びている。つまるところ、〈女性〉がいなければ、杉山の〈手紙〉は東堂に届かなかったのであり、冬木の経歴も東堂は知ることができなかったのである。〈手紙〉の搬送においても〈女〉は重要な役割を果たしていたのだ。


 
2.2 名付けることはできない

 
神聖喜劇』においては、物語に頻繁に出てくるのにも関わらず、一度も「本名」が明かされない〈女〉が登場する。東堂と最も近いようで遠い存在である「安芸」の〈女〉である。一方では東堂とほとんど面識のないように思われる〈手紙〉の運び手である「柿本澄子」は本名が明かされている。また、「安芸」の彼女に近い存在である旅館「安芸」の仲居である「浜口民子」もその名前は明らかにされているのである。東堂はその「浜口民子」という名前から、「安芸」の仲居の「蝶子」の本名であるということに気付く。「浜口民子」よりも「安芸」の彼女のほうが東堂は親しい関係であるのにもかかわらず、最後まで「安芸」の彼女は名前を明かされないのである。記憶力の良い東堂なのだから、一緒に一晩を共にすることにもなった「安芸」の彼女の名前を知らないはずはない。ではなぜ名前は明らかにされないのであろうか。なぜならば、それは東堂にとって「安芸」の彼女とは、名前を付けられることができない〈存在〉であるからだ。 
例えば石原千秋は、名付けるという行為は、本人が意識していようといなかろうと、間違いなくそのものを所有するということを意味すると述べている16。ここでは「彼女の本名」を名指す行為は、彼女の個別具体性を捨象して、記号の連鎖の中に「彼女」を投げ入れるという暴力的な行為であると言える。「本名」ではなく〈「安芸」の彼女〉と名指すことすら、そのものを所有する名付けの行為であるという意見もあると思う。しかし、人間は名前をつけることで対象を区別し理解する以上、「安芸」の彼女は便宜的に付けられた名称にすぎない。重要なのは、東堂が「安芸」の彼女の本名を知っている立場にありながら、小説中では本名は決して名付けることができない/名付けられないことにある。つまり、東堂が本名を語るという行為を「安芸」の彼女のみ決して行わないという態度は、東堂にとって「安芸」の彼女は完全に名付け掌握することのできない「他者」として存在していたということが言えるであろう。



2.3 〈女〉という「記号」の発見


神聖喜劇』の終盤部分において、論理的な思考を欠いているように思われた大前田の言葉は、その後の多くの悲劇を予言していたかのようなものであったことが「敗戦後の私(東堂)」によって語られている。それは、広島及び長崎の悲劇を予期していたかのようであった。戦争は「相手方の戦闘員も非戦闘員も一緒くたにして、いちどきに何万人も、何十万人も皆殺しにしてしまうごだぁる新兵器でも早く拵えて、早う使うたほうの国が勝」ち(第八部 永劫の章 終局 出発)という言葉にも見てとることができる。アメリカが日本に原爆を落とすことによって「戦争」の結末を迎えることになった未来を予言した言葉にもなっていたのである。一見、非論理的にみえる大前田の言葉は的を得ている部分も多くあった。それは、次の大前田の言葉にも当てはまる。

  「うむ。(中略)だいたい軍隊ちゅうとは、人間の――男の集まりじゃけんねぇ。そんなら何よりも一番根本のところで女子のことが、軍隊関係でなかにゃなるめえ。」
                  (第四部 伝承の章 第四 対馬風流滑稽譚)

 この言葉は軍隊での勤務中に「ミス竹敷」という女性との逢引によって、「辱職の罪・逃亡の罪」で逮捕されることになった大前田の未来をも暗示するものになっている。しかし、それだけではない。これまでに論じてきた杉山から東堂宛に送られた〈手紙〉は「柿本澄子」というその〈手紙〉を仲介した〈女〉の存在があった。また、東堂から杉山の〈手紙〉には、もう一通〈女〉である「安芸」の彼女の〈手紙〉が同封されてあった。さらに、東堂が「この戦争に死ぬべきである」という考えから「私はこの戦争を生き抜くべきである」という転心には「安芸」の〈女〉との対話が大きく影響していたと言えるのである。大前田のいうように軍隊の中で一番根本のところには常に〈女〉が存在していたのである。
 



3 〈女〉が紡ぎ出す「戦争文学」

3.1 〈論理〉の最果てに――〈倫理〉を取り込むこと


 『神聖喜劇』の東堂(男)と「安芸」の彼女(女)との対話で、東堂はしきりに「安芸」の彼女に対して、あなたは「目に見えない黒い喪服」を着ていると一環として主張する文章がある。

男 あなたは、いつ見ても黒い服ですね。どういう訳ですか。
 女 はぁ?……私は別に。……なんのことでしょう?
 (中略)
 男 あなたが取ったような意味でとはまるで別だけれども、しかしあなたには、仮りにそういう言い方をするならば、目に見えない喪服を着て暮らしているような所があります。そう私に感ぜられるのです。他の人たちにはわからないにしても。
 女 ええ……。
 男 断っておきますが、特定の死者のための喪服とは私はいいません――必ずしも言いません。
 (中略)
 男 あなたはその戦死していた人をたいそう深く愛していたが、それでもそれはその個人のための喪服というわけでもない。
 女 はい……。
 男 人生が、あなた自身にとっては、ある時期で終わりになっていた。そのうちあなたは、さっきのあなたの言葉をここで使えば「惰性のように生きている」のでしょう。たとえ普通の傍目には生き生きとして明るいように見えても。つまりそれは、「わが人生の喪服」なのです。
 女 「わが人生の喪服」、――ええ。
(第三部 運命の章 第二 十一月の夜の媾曳)

右における「目に見えない喪服」とは一体どういうものであろうか。特定の死者のための喪服というわけでもなく、ある個人のためのものというわけでもない。つまり、それは「安芸」の彼女の「隠毛」のことである。この会話の後に、「安芸」の彼女は東堂に対してこの陰毛を剃ることを提案する。東堂は「その提案理由を自力では理解することも推定することもできなかった」と述べている。しかし、「あなたは黒い喪服を着ている」と彼女にいうことで、その喪服とは「隠毛」であると隠喩的に伝えているのだ。そして、東堂は彼女の「陰毛」を剃ることで、彼女から「人生の喪服」を脱がしてしまう。人生を惰性のように生きることの象徴であった彼女の「喪服」を脱がすという行為は、もはや彼女の人生が惰性ではなくなったということを表しているとも言えよう。また、その象徴的な行為は彼女が東堂に「情事」を感じてしまったということをも表現しているといえるのではないだろうか。

かつて「安芸」の彼女は、人を愛してしまっても、男たちは戦争に駆り出されてしまう。したがって、人を愛せば愛するほど自分のつらさや悲しみが増すだけであるという、ある種の〈論理的〉な「断念」とも取れる思いを巡らせていた。「もはや愛することを求めることは私にはできないに違いない」と思い、何者も愛さないという姿勢を通すことによって、過去に多くの人の〈死〉を経験した悲しみから脱却しようと彼女は考えていたのである。何者も愛さないという姿勢は、ある種の愛情の断念という〈ニヒリズム〉に近いものとして考えることができるであろう。しかしながら、そのような彼女の思想にも関わらず、「安芸」の彼女は「心理的、生理的共感」によって東堂に情事を感じてしまう。それは、彼女と同じような〈ニヒリズム〉を東堂が持っていたと言うこともいえるであろう。

この東堂の〈ニヒリズム〉を日高晋は「東堂はさまざまな形で頑張るのにもかかわらず、この侵略戦争をやめさせるような効果を全く持っていない。自分の考えに基づいて社会を動かし、社会の方向を転換させる力をとうてい持ち得ない」ことにあると述べている17。これは、アンガージュマンの一貫として行動しようとも「論理的」に断念せざるをえない東堂を表しているともいえる。「論理的」に断念せざるを得ない東堂は、論理的であるということと同じくらいに倫理的であることを重視する18のであるその「論理」から「倫理」への試みこそこの『神聖喜劇』が乗り越えようとしたものでもあった。

本論文で見てきたように、『神聖喜劇』は「戦争文学」であるのにも関わらず、多くの場面で〈女〉がその「物語」を支えている。そこでは「対馬」という閉鎖された空間において、かつ「軍隊」という隔離された場所で〈男〉の物語が展開されていると思われがちである。しかし、そのような地理的組織的に閉鎖されているかのような空間でさえ〈女〉が意識され、語られる場所であった。文字通り「対馬」は〈男〉と〈女〉の対が意識される島でもあったのだ。〈男〉の文学であるとみなされていた「戦争文学」は〈女〉の「戦争文学」でもあったのである。『神聖喜劇』における軍隊とは〈女〉が遮断された「真空地帯」などではなく、むしろ〈女〉が強く意識される「空間」であったのだ。


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